昔、オーストラリアに行った際に、数日間「語学学校」に体験入学したことがあります。

そこには沢山のスイス人が在籍していましたが、驚いたことにその多くが、英語だけでなくフランス語・イタリア語・ドイツ語など複数の言語を話していました。

それもすべてスラスラと「会話で使える」レベル。英語だってそうです。もうすでに会話はできる、でももっと正確さを高めたい・資格試験を受けるなどの理由で語学学校に通っているわけです。

これには本当に驚きました。日本人の感覚からすると、英語学校というのは、「英語がまだ話せない」人が通うものだという意識がありましたから。なんですでに話せるのに学校通っているのかって。しかも英語だけじゃなく複数の言語まで操れるって。

当時の自分は必死の努力によってTOEICで920点を取り、なんとか聞き取りは出来るかな?というところまでは持っていけてはいましたが、

それまでインプットのトレーニングしかしていませんでしたので、まだほとんど話せない状態。ですから会話どころではありません。中学生になって英語を習い始めてから、そこまで何年かかったでしょうか。

こちとら英語一つですらこれだけ苦労しているのに、3ヶ国語をスラスラとしゃべってる奴が(結構)いる、この違いはなんなんだ、スイス人っていうのは天才の集まりじゃないかと。

でも後にわかったのは、これは別にスイス人に限った話ではないということ。

ヨーロッパでは①自分の母語+②世界共通語としての英語+③もう一つ別の言語、という形で、3ヶ国語あるいはそれ以上を話すことができる人が結構いるのです。

それは「英語の苦手な」日本人にとっては、まるで神業のようにも映ります。

頭の出来が根本的に違うんじゃないか、外国語を習得するために必要ななんらかの脳細胞が日本人には足りていないんじゃないか、そう本気で思った時期すらありました。でも今はそうでないということがわかります。

どうして彼らはいくつもの言語を話せるのか。そしてどうして日本人は英語の習得一つにこれほど苦労するのか。

「言語間の距離」

四方を海に囲まれている、という地理的な条件からくる「外国」への壁の高さなど、いくつかその理由は考えられますが、

最も大きな理由は、「言語間の距離」の差です。

それを裏付けるデータとして、アメリカ国務省の従属機関であるFSI(Foreqign Service Institute)の研究結果があります。FSIでは、外交官になるべき人材が、来たる現地での配属に向けて外国語を学んでいます。

そこでの長年に渡るデータの積み重ねから、英語のネイティブスピーカーである彼らにとって、外国語を習得するのにどれぐらいの授業時間が必要か、各言語の習得の難易度によってレベル分けした表が以下です。 

Category I: 23-24 weeks (575-600 hours) ← 英語ネイティブにとって最も簡単 Languages closely related to English(英語と密接に関わりのある言語)
デンマーク語、オランダ語 、フランス語 、イタリア語
ノルウェー語、スペイン語 、イタリア語、ポルトガル語
Category II: 30 weeks (750 hours) Languages similar to English(英語に似た言語)
ドイツ語
Category III: 36 weeks (900 hours) Languages with linguistic and/or cultural differences from English (英語からは言語学的・文化的に違いのある言語)
インドネシア語、マレーシア語、スワヒリ語
Category IV: 44 weeks (1100 hours) Languages with significant linguistic and/or cultural differences from English (英語からは言語学的・文化的に大きな違いのある言語)
アラビア語、ブルガリア語、チェコ語、ハンガリー語、 タイ語、ロシア語など多数
Category V: 88 weeks (2200 hours) Languages which are exceptionally difficult for native English speakers (英語のネイティブにとって格別に難しい言語)
アラビア語、中国語、韓国語、*日本語

https://www.atlasandboots.com/foreign-service-institute-language-difficulty/ より引用

日本語はようやく最後に出てきました。この表によれば、日本語は、アラビア語・韓国語・中国語と並んで、英語のネイティブスピーカーにとって「最難関」とされるカテゴリー5に分類されています。2200時間の授業が必要だとのこと。

ただし日本語には*(アスタリスク)がついており、これは、Usually more difficult than other languages in the same category.(たいていの場合、同じカテゴリーに含まれる他の言語よりも難しい)という印。

つまり、FSIで彼らが学ぶ言語の中で、最も習得が難しい(習得に時間がかかる)言語だと認められているわけです。

これを見て、「アメリカのエリートがそこまで苦労する難解な日本語を使ってる俺たちカッケー」と誤解する人たちがいますが、それは違います。

別に日本語が難しいのではなく、英語からの距離がそれだけ遠いというだけの話です。

そしてこれは当然逆も言えます。日本語から見て、英語は「遠い」言語である、すなわち習得にとてつもなく時間がかかるということ。私達は英語を習得する上で世界中で最も不利な立場にいると言っても過言ではありません。

しかも上の結果は、フルタイムでの授業を毎日行なって、どれぐらいの「授業時間」が必要だったかを示したものです。授業時間だけで2200時間以上。授業以外にも自主学習が課されていますが、その時間は含まれていません。

自主学習を含めれば…

さらに言えば、その対象となったのは、アメリカ国務省に配属されるほどのエリートの中から、言語習得に適性があると認められた人たちです。

そのエリート達がフルタイムで(勉強漬けの環境で)授業を受けての結果ですから、「一般の人が」「仕事をしながら」では、2200時間よりも、もっと×3かかると考えるのが普通でしょう。少なく見積もっても3000時間以上。

これは当然、私達日本人が英語を習得する際にも参考になる数字です。

ともあれこの「言語間の距離」こそが、外国語の習得の難易度を決めるのです。

ヨーロッパ人が複数の言語を話せる秘密

ここで最初にお話した、数カ国語を話すスイス人の例に戻りましょう。

スイスには「スイス語」という独自の言語がなく、ドイツ語・フランス語・イタリア語(もう一つロマンシュ語という超少数言語があります)が公用語として採用されています。

自分の生まれた地域によって上のいずれかの言語を「母語」として学び、そして小学校で、それ以外の公用語のどれか、さらには英語も学ぶのだそうです。

まず外国語がとても身近にあること、周りに複数言語を話す人が「当たり前のように」存在している(親も含めて)。この「環境」が及ぼす影響というのは言うまでもなく大きいですよね。そこで育つ子は、自分も当然いくつかの言語を、と思うようになるでしょう。

日本では周りに英語を話せる人がいることの方がまれですよね。話せるのは「特別な」人という感じ。この違いは大きい。

で、もう一つ言うと、その学ぶ言語同士も「近い」のです。

スイスのイタリア語圏に生まれた子のケースを考えましょう。この子が母語のイタリア語に加えてフランス語・英語を学ぶとします(言語に対する吸収力が高い子供と大人との学習速度の差についてはひとまず置いておきます)。

先ほど見た表ではイタリア語はカテゴリー1の「英語のネイティブにとって最も習得が簡単な言語」に含まれ、600時間程度の学習時間で日常生活で使えるとありましたよね。

ですからイタリア語を母語とするこの子にとっても、英語はやはり600時間程度で習得できる「簡単な」言語であるはず。

さらにイタリア語とフランス語(スペイン語・ポルトガル語・ルーマニア語も)は同じ起源を持つ、いわば「親戚同士」の言語ですから、これらの言語間の距離は、英語との距離よりももっと近い。

ということは、この子がフランス語を学ぶ場合、おそらく英語の習得にかかる600時間よりもっと短い時間で習得ができるはずです。

そうなるとここまで2ヶ国語(英・仏)で1200時間もかからない、という計算に。母語のイタリア語と合わせてすでに3ヶ国語話者です。

さらにここからスペイン語を学ぶにしたって、やはり600時間もかからないはず(上述したようにスペイン語もイタリア語から近い言語)ですから、1800時間で4ヶ国語、というのも全然無理な話ではなりません。この1800時間、というのは「かなり多く見積もって」の数字です。

我々日本人が英語という一つの言語を学ぶのに2200時間以上は、いや3000時間はかかるだろう、というのに。距離の遠い言語を学習するなら、その時間で距離の近い複数の言語を習得するのも十分に可能だということ。 

言語間の距離が、その学びやすさを決めるのです。彼らは外国語(ヨーロッパの言語に限りますが)を学ぶ上でとても恵まれた環境にいるわけです。

ちなみに言語学的な見地から言えば、同じ日本語である東北弁と鹿児島弁との距離は、別の国の言語であるスペイン語とポルトガル語の距離よりも「遠い」のだそうです。

当然、距離が近い言語同士は共通点が多く、それだけ習得がたやすい、ポルトガル人にとって、スペイン語の習得は方言を学ぶぐらいの感覚で出来てしまいます。

このように、どの言語を母語として持つかによって、外国語の習得のしやすさは大きく変わるということですね。

この意味で、日本語を母語として持つ私達は、「英語の習得」という点において、ものすごく大きなハンデを抱えているということ。とにかく遠い、だから習得にとてつもなく時間がかかるのです。

英語の習得を難しくするもう一つの要素

それともう一つ、英語の習得を難しくする大きな問題、それは日本人の誰もが「英語がなくても別に困りはしない」状況にあるということです。

ではここで問題です。「2つの言語をしゃべれる人はバイリンガル、3つの言語をしゃべれる人はトリリンガル。では1つの言語しかしゃべれない人を何と呼ぶ?」

    ↓

    ↓

    ↓

答え「アメリカ人」という、アメリカ人が英語しか話せない、外国語が苦手なことを皮肉ったジョークがあります(真面目に答えるなら monolingual 「モノリンガル」ですが)。

実際アメリカ人の多くは、スペイン語やフランス語を学校で学びますが、ほとんどが実用レベルに至らぬまま、卒業とともに忘れてしまいます。

ではどうしてアメリカ人は外国語が苦手なんでしょうか。

それは、わざわざそんな面倒なことをしなくても、他の国の人達が一生懸命自分たちの言葉(英語)を学んでくれるからです。

必要性がないと、人間は努力できないということ。スペイン語・フランス語とも、先ほど見た表の難易度で言えばカテゴリー1の「英語からの距離が最も近い」、彼らにとっては易しい言語にあたります。

でもそのたった600時間の努力すら積めないわけです。← いわんや2200時間をや(そんなことができるだろうか、いやできるはずはない)。

これとは逆の例として、韓国の例があります。これは何度かお話していますよね。

かつては日本と並んで「英語が苦手」で有名な国だったが韓国ですが(そりゃそうですよね。日本語同様、韓国語も英語からの距離がとてつもなく遠いんですから)、

ところが今や韓国でのTOEICの平均点は673点でアジア2位に君臨しています(2018年の結果。1位は英語を国の公用語とするフィリピン)。ちなみに日本のTOEICの平均点は520点。平均点で150点以上の差がつけられているわけです。

昔は同じあたりのレベルだったはずなのに、英語力では完全に遠くに行ってしまわれたのです。私達が同じ場所にずーっととどまっているのを横目に。どうしてそこまで差がついてしまったんでしょうか。

潮目が変わったのは1997年に彼の地で起きた経済危機です。この年、韓国では、大企業の連続的な倒産をきっかけとした経済危機により、株価が大暴落し、国家信用格付けも下げられ、その経済はIMFの管理下に置かれることとなりました。国家存亡の危機です。

これを機に、韓国は外貨の獲得を真剣に考えるようになりました。それはすなわち自分たちの商品を海外に売ること。そしてそのためには、世界の公用語である英語の習得が「絶対に」必要。そこで国を挙げて英語の習得に乗り出したのです。

言わば国民全体で「本気になって頑張った」、そうしないと国が潰れてしまうから。

この結果、韓国は経済危機を乗り切り、収入の90%を輸出入が支える貿易立国を果たしました(日本の貿易依存度は20%程度)。これも国を挙げて「英語習得」の努力をした結果です。

(ちなみにいうと、エンタメも当然外貨獲得の有力な手段として考えられ、すべてのコンテンツは最初から海外で売ることを意識して作られるようになり、その甲斐あって韓流ドラマ・映画、そしてコリアンPOPは今や世界を席巻するまでになりました。)

本当に差し迫った状況にあったから、死ぬ気で頑張れたと。

これに対して、1億人を超える人口に支えられた豊かな国内市場を持つ日本では、「英語がどうしても出来なくては」という危機感にさらされることは(少なくとも現時点では)ありません。

これからの人口減少に伴い、日本経済の見通しが暗いことは皆知っていますが、それで尻に火がついたという人はほとんどいないはず。

だから皆が「そりゃ出来ないより出来た方がいいよね」ぐらいのスタンス、そうなると「必死」とは無縁の、「気が向いた時に、辛くない」程度の取り組みになりがち。

韓国人と比べて、日本人の脳が劣っている、なんてことはないでしょう。違うのは英語に対して本気か、必死になれたかどうかです。「英語に対する本気度の違い」が、「捧げる時間の違い」を生み、ひいては英語力の違いを生んだのです。

日本が貧しい国で、その貧困から抜け出すためには、どうしても英語を習得しなければならない、という状況だったら、もっとみんな「本気で」勉強するでしょうが、ラッキーなことに(英語の習得から言えばアンラッキーですが)そうではないですよね。

他のどの言語よりも英語から距離が遠いため、他のどの国の人よりも時間をかけなくてはならない。でもそこまで状況が切羽詰まっていないため、本気でやる人が少ない(時間をかけない)。

結果として、「どうしても英語を身に着けたい」という、本当に強い内的動機に支えられた「選ばれし者」を除いて、誰も英語が使えるようになるまでに必要な「数千時間」を積み上げることができない、すなわち使えるようにならないのです。

ほとんどの人は勉強時間が必要なラインまで「届かない」で終わる、これが日本人が英語が下手であることの本当の原因だと僕は思います。

ここは誰も指摘しませんが、本当に英語が使えるようになりたいと考えるなら、何よりも大切なところです。